2012年8月28日火曜日

楽しくお勉強してね




 まず始めに 未確認 知識
1
戦争を裁く法律はありません。私の知る限り東京裁判で多くの軍人が裁かれましたが、それ以外に戦争で特殊な事例以外裁かれた人はいないのでないか?(現在あるのかどうかしりません。)ナチス??ナチスは政党であって軍部ではない。
2
戦争はイカン!たしかにそうです!ですが昔の戦争やその他事を現代の感覚で考えてはいけないと思っています!それは後だしジャンケンのように汚い行為だと思っています!その時々の情勢や社会感覚などを踏まえて考えていかなければならないと思っています。
3
そもそも私の知る限りでは 右の人、保守の人、左な人、社会主義な人、そんなに変わりません!!皆さんそれぞれの考えがある 愛国心のある人だと思っています。広い意味でね!

4
なにが言いたいのかと言えば、今やらねばならぬ、カタをつけねばならぬ、
問題だと言う事です!
今まで経済成長の為に丸を四角だと、三角を、円錐だと言ってきました!
今やらねばならぬ事
(そんな事より自分が1番やらなあかん事あるのにね笑)

チャンスですね!!!

この記事はどこかで立ったスレッドをまとめ記事にしたものを転載しました!

わかりやすく要約してると思います。

面白いですね。

半島の人がまともな教育を
受けれる日がくればようやく話しあいができると
思っています。





















韓国併合 - Wikipedia

1910年(明治43年)8月29日、韓国併合ニ関スル条約に基づいて大日本帝国が大韓帝国を併合した事実を指す。日韓併合、朝鮮併合、日韓合邦とも表記されている。


 韓国なんぞよりもっとマシな国せめるべきやったんや





7:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 10:55:03.56 ID:aR4/s/0y0


>>6
だな





8:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 10:56:44.24 ID:AwPkshoT0


ソ連の植民地になって奴隷のように扱われてたっぷり摂取された挙句に

独立後も賠償金なんてもらえるはずもなく今の北のような状態になってただろうな





9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 10:57:01.24 ID:/yCehQQj0


日本人は今より幸せな生活を送れていた





10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 10:58:07.61 ID:tMlyREgD0


なぜ韓国を選んでしまったのか





11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 10:59:30.70 ID:w3dfsujHO


ロシアが不凍港を持つ→太平洋に存在感→アメリカと対立



で独ソはむしろ同盟したかも。




日中戦争はありえないから、日本は本国に引きこもって、敗戦はなかったかもな。





12:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 11:06:34.95 ID:tMlyREgD0


敗戦しなかったら平和憲法もなくなるか





14:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 11:18:12.84 ID:fGliloCF0


無理

アソコで日本が関わらないとロシアが釜山に基地を持つことになるから

日本としては絶対に阻止しなければならなかった

日露戦争後、ロシアは満州以南の進出を放棄したが

かといって清朝末期で混乱中の支那政権に任せるわけにも行かず

かといってアメリカなど他の欧米列強の進出も許せるわけ無く

かといって朝鮮は自主独立の気概なんかないから

どうしても日本が保護国にしなければならなかった


 17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 11:40:25.73 ID:tMlyREgD0


>>15
これが家?

なんというか、見通しがいいね…





18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 11:43:00.26 ID:goOFUwOl0


ずっと傀儡でずっと途上国


日本は中露に永久に匕首をつきつけられることになる





24:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 12:31:15.23 ID:/bXu0fbJQ


やっぱ朝鮮は地理的に重要だったんやな





22:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 12:29:45.36 ID:tMlyREgD0


韓国併合が仕方なかったなら、

どこで間違ったんだ





27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 12:37:18.05 ID:fGliloCF0


>>22
現在から見た後付の知識で言うなら、

朝鮮人を本国人と同等の扱いにせずに

徹底的に搾取し弾圧し、朝鮮人より日本人の方が上だと

その身に覚え込ませれば良かった





28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 12:39:47.59 ID:EXg0hp+T0


>>27
そうしたとしても、独立後に徹底した反日教育するから意味ないね





25:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 12:34:54.98 ID:tMlyREgD0


日本語よりも、もっと道徳的なことを教えてやったら良かったかもね





26: 忍法帖【Lv=8,xxxP】 :2012/08/26(日) 12:37:04.98 ID:EXg0hp+T0


>>25
無理やろ

人権意識なんてないしな





29:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 12:41:36.86 ID:kQ/k0zjU0


そもそも朝鮮は開国が遅かった(1876年日朝修好条規で開国)ため欧州の覇権はまだ及んでいなかった。

ぶっちゃけ中国(清)の植民地みたいなものだったけど当時の中国は欧米に食い荒らされていて、空白地域の朝鮮半島も欧米は狙っていた。

しかし日本としては朝鮮半島は目と鼻の先、朝鮮が他国の支配下に置かれれば日本の安全に対する脅威となる。

そしてこの朝鮮半島をめぐって日本と中国が戦争をする。



日清戦争の始まりである。




ちなみにイギリスは日本の味方をした。


 理由はイギリスはロシアの南下政策を警戒しており、国力の弱った中国ではその侵略を受けきることができず、いずれはロシアと衝突すると考えた。

そこで当時ものすごい勢いで近代化していた日本に目を付けた。

もし日本が勝てば日本の影響力が高くなり南下政策の防波堤になる、その日本に支援したら自分の発言力も増す、自分たちの利権も守られる。

もし日本が負けたらその時は中国と半々で植民地にしよう

そう考え日本を支援したのだ。



あざとい、さすがイギリスあざとい





34:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 12:49:57.12 ID:tMlyREgD0


>>29
さすが二枚舌





35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 13:11:22.47 ID:kQ/k0zjU0


>>29つづき

そして日本は日清戦争に勝利し、賠償金やら領土やらたくさん手に入れる。

その中の遼東半島、これが次の日露戦争につながっていく。

遼東半島、朝鮮半島の根っこに生えているちっぽけな半島である。

一見何の価値もない半島、しかし満州を主観に見てみるととても重要である。

満州から品物を海へ出す場合、朝鮮半島か遼東半島の旅順港からしか出せないのである。

この二つの地域は日清戦争の勝利により日本が押さえていた。

そして満州は南下政策によりロシアのものとなっていた。

ロシアとしてはつまらないことである。

ロシアはフランス・ドイツに声をかけ遼東半島を日本から中国に返還させる



三国干渉である



そして晴れて遼東半島は中国のもとに戻る・・・わけがない

大連や旅順はロシアがそのまま手に入れてしまうのである。


 三国干渉の建前は「遼東半島を日本が占領していれば朝鮮半島の独立を阻害し、極東アジアの平和を乱す」というもの。

しかし遼東半島をいざ返還してみると弱体化した清に付け込んだ欧米列強いよる権益の貪り合いが行われた。

しかもこの欧米の中にイギリスがちゃっかり紛れ込んでたりする。

もし当時にインターネットがあったら日本人は皆



「おまえらがいうな」



と書き込んだであろう。



さらにロシアに至っては朝鮮半島にまで進出してくる。

当時のロシアは世界最強レベルの国家だった上に、他国との関係も厚い。

その上朝鮮半島の大韓帝国は建前上独立しているため日本としてはうかつに手は出せなかった。

そして日本は対ロシア戦争に向けて準備を始めるのである





41:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 13:39:05.29 ID:kQ/k0zjU0


>>40つづき

ここまで来ると気付いている方もいるだろうが日本はしっかりロシアの南下政策の防波堤となっていた。

つまりイギリスの手のひらの上で踊っていたのである。



もともと日本とロシアは幕末のころからもめていた。

北海道や千島列島・樺太などでのイザコザはよくあることで

幕府は屯田兵を送り込んだりして北からの侵略への対策を行っていた。

その時は大規模な衝突は無かったが約30年の時を経て再び対峙することとなった。





45:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 13:46:59.15 ID:kQ/k0zjU0


>>41つづき

今まで欧米と書いていたけど今思えばアメリカいないんで欧州にします。恥ずかしいorz



しかしロシアと戦争をするといってもロシアは世界最強レベル、その上フランスやドイツとの関係も厚く

何も考えずにロシアと戦争をすれば欧州列強が芋づる式にロシア側に立って日本と戦争をすることになりかねない。

そんなことになれば日本対世界の構図になり勝ち目がない。



そこで日英同盟が出てくるのである。



でもちょっと長くなりそうなんで次のレスで書きます





48:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 14:00:15.93 ID:kQ/k0zjU0


>>45
ことの始まりは1901年ドイツの駐英大使が日本大使館の書記官に「日英と同盟を結んでもいいんだけどちょっと日本から声掛けてくれないか?」と言ったことから始まる。

日本は早速イギリスの反応をうかがってみるとまんざらでもない様子。

そのままうまく進むかと思われたが南アフリカで起こった反英運動をドイツが支持したため日独英の三国同盟は立ち消えてしまった。

しかし日英同盟の話は残っており1902年には正式に調印される。

この日英同盟は日本に計り知れないメリットをもたらした。

有名なものとしてはバルチック艦隊がアフリカで燃料補給を受けられないため過酷な航海を強いられ、最悪のコンディションで日本海海戦に挑まざるを得なかったのも日英同盟の成果である。

また、他国が参戦する牽制になったり、資金調達がやすくなったりといいことずくめだった。


 そのままうまく進むかと思われたが南アフリカで起こった反英運動をドイツが支持したため日独英の三国同盟は立ち消えてしまった。

しかし日英同盟の話は残っており1902年には正式に調印される。

この日英同盟は日本に計り知れないメリットをもたらした。

有名なものとしてはバルチック艦隊がアフリカで燃料補給を受けられないため過酷な航海を強いられ、最悪のコンディションで日本海海戦に挑まざるを得なかったのも日英同盟の成果である。

また、他国が参戦する牽制になったり、資金調達がやすくなったりといいことずくめだった。





51:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 14:31:39.96 ID:kQ/k0zjU0


>>48つづき

だがそこはイギリス。なんのメリットもないのに日本と同盟を組むはずがない。

当時イギリスはどの国とも同盟を結ばない孤高の大国だった。(またの名をツンデレという)

世界各地に植民地を持っており海軍力は世界一位、しかも二位三位の国の海軍力を足してもまだ足りないというほど強い。

そんな大英帝国閣下には同盟国など必要ない、というスタンスだったのかもしれない。

しかし激動の20世紀初頭、欧州各国は同盟を結んでおり、気がつけばイギリスは逆に包囲されていた。

さらに各地で反英運動なども起こっており、アジアでもインドシナではフランスと対立、中国・インドではロシアの脅威にさらされていた。

手っ取り早いのが軍による武力弾圧なのだが欧州各国では軍備増強が流行しており本国をおろそかにはできない。

ここにきて広すぎる支配地域が仇となっていた。



孤高の大国・名誉ある孤立と本人は言っているが、内心では遠いアジアの権益がいつ失れるかとヒヤヒヤしていたのである。

欧州各国の包囲網に対抗でき、本国から遠く離れたアジアの権益を守れるだけの軍事力を持った国。

日本はアジアでの番犬として最適だったのである。



簡単にいえば



強い財力をもった誰とも仲良くしないツンデレお嬢様いて、周りは弱い奴らばかりだった。

けどいつの間にか裏で包囲網が構築されておりしかも一部は反抗するようになってきた。

いまさら頭を下げるのはプライドが許さない。

しかし内心では自分の地位が絶対ではない、いつかは無くなってしまい、普通の誰から見向きもされない少女になってしまうのではないかと恐れていた

そんなおろおろする少女の前に転校生が現れる。

その転校生は内気だったがちょっと背中を押してあげるとなかなかの喧嘩強さを持っておりアジア組のボスをコテンパンにしてしまった。

そんなことから二人の距離は徐々に縮まっていき、ある日転校生から「言いたいことがあるんだ。すごく大事なこと。」と伝えられ(以下は省力されました続きをry





53:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 14:52:08.57 ID:kQ/k0zjU0


>>51続き

結果、イギリスの後押しを受けた日本はロシアに対し戦争をする覚悟を決めた。

ロシアは日本が戦争をしてくるわけがない、とタカをくくっていた。

しかし1904年戦争が起こる



日露戦争の始まりである。



内容は端折るが結果的に日本は領土を大幅に増やすことに成功する。

このとき、スレタイの日韓併合が行われるのである。

しかしこの際賠償金を得ることができず暴動が起こっている。



まあ当然だろう。

日清戦争の賠償金の大半は製鉄所や軍事費に消え、日露戦争4年前にはGDPの約半分が軍事費に消えているのである。



ちなみに日清戦争後にできた大韓帝国の歴史は13年と短くここで終わる。





55:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 15:15:30.78 ID:kQ/k0zjU0


>>53つづき

1876年の朝鮮が開国してから1910年に国が消滅するまでわずか34年間。

朝鮮周辺は未開の地だったことが仇となり日本・中国・ロシア・欧州の覇権争いの場となったのである。

当時の世界情勢は弱肉強食だったということがよくわかる事例である。

当然、日本も朝鮮のように国が無くなる可能性も十分に考えられる。

日英同盟が結べなかったらひょっとしたら日本が戦場になっていたかもしれないし、

日独英三国同盟が結べていたら日露戦争は無かったかもしれない



ちょっとわかりにくかったかもしれないけど当時の朝鮮半島周辺はすさまじくややこしいです。

そして日英同盟はその後も続き第一次世界大戦では日本も艦船を欧州に送ったりして1921年に消滅。

その後20年後今度は敵国として対峙することとなり、イギリスは植民地を失い没落していきます。

ロシアは1917年ロシア革命が起こりソビエト連邦となり一時なりを潜め、

極東アジアに今度はアメリカが権益を求めてやって来て日本と対峙します。



まぁこんなもんかな?

わかりにくかったりしたとこもあるだろうけど朝鮮半島を併合したのにはきちんと理由があるんです。

まぁだからと言って今の韓国や北朝鮮の横暴が許せるわけじゃないけどな!

竹島は日本の領土だ!!


 おつおつ

楽しく読ませてもらったは





58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 15:44:37.53 ID:tMlyREgD0


>>55
おつ!

わかりやすかったよ!ありがとう





30:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 12:42:03.92 ID:RbaUEzWiO


せめて人種がまともならよかったんや



無い物ねだりなのはわかってますが





31:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 12:42:24.13 ID:45Luqylm0


結局どうしたらよかったのよ…





32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 12:43:55.44 ID:kQ/k0zjU0


>>31
結果的には併合するしか日本に道は無かった





49:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 14:16:45.02 ID:24eQ0EwQ0


こうやって詳しく書いてくれると面白いな





50:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 14:23:57.19 ID:tMlyREgD0


うん、面白い

ためになる





33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 12:48:24.59 ID:QwitqYJC0


思考停止の一番簡単な方法は

ナチスの真似することだけど





47:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 13:56:57.50 ID:kSJsI28X0


当時はイギリスと日本は仲が良かったという話も聞いたな

海軍とかまるきりイギリス式で、慕ってくる日本をイギリスも憎からず思っていたとか

で、バルチック艦隊が遠路やってくる間、植民地の港は開けない。当時最高とされた

イギリス産石炭は卸さない等の嫌がらせでバックアップしたとか





63:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 16:08:56.82 ID:FIUdhYki0


併合して朝鮮人を絶滅させた上で植民するのが日本の国益にとって最善だった

モラル的な善悪はともかく





64:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 16:15:01.49 ID:ENZRTn1g0


そもそも地政学的な理由で朝鮮併合したのに、なぜかまともに投資しちゃうからこうなる。

朝鮮に投下された資本が日本国内に投下されていたらと思うと





65:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 16:17:35.62 ID:FIUdhYki0


緩衝帯なんだったら不毛の荒野でもよかったわけだ

欲張って有効活用しようとしたのが失敗

下手に教育レベルを高めたりインフラ整備したりしてしまったせいで、独立した後の韓国が中途半端に国力をつけて非常に邪魔になってる





77:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 17:24:26.72 ID:tMlyREgD0


日本って本当いろんなとこで少しずつ良い事してて

当の日本人が何したか把握し切れてない





60:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 16:00:29.49 ID:kQ/k0zjU0


まだのこってた・・・

どうしよう、太平洋戦争ぐらいまでいこうか?





61:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 16:05:11.16 ID:wtV6puNx0


すげー見たい

でも人少なくなっちまったし書く意欲沸くのか?





66:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 16:22:15.47 ID:kQ/k0zjU0


みんなありがとう

じゃあぼちぼち書いていく。スローペースだろうけどゆっくりしていってね!



1905年日露戦争に勝利したのは日本だった。

イギリスからの支援があったとはいえ開国からわずか50年で最強レベルの国に勝ったことに世界は驚愕した。

特にヨーロッパの支配に苦しんでいる植民地からは羨望のまなざしが向けられた。

そして1911年には日本が開国した時から問題であった不平等条約の改正が行われ、名実ともに一流国家となった。

そしてそのころ欧州ではなにやらキナ臭くなってきていた。



そう、第一次世界大戦である。


 68:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 16:39:09.35 ID:kQ/k0zjU0


>>66つづき

第一次世界大戦(1914年)は欧州での戦いだったため日本は関係ない、と思われるかもしれないが大いに関係がある。

日本は日英同盟に基づき連合国側に立って参戦し、中国の租借地やマリアナ諸島などのドイツの植民地を制圧したのである。

また、日本は欧州にも艦船を派遣し輸送艦の護衛・救助任務を行っている。

その際日本軍将兵78名が戦死されているのを忘れてはいけない。

とはいっても日本本土は戦果に巻き込まれることもなく、すでに工業国してやっていけるようになっていたため空前の戦争景気に沸くこととなる。

特に造船業の伸びはすさまじく海外に船舶を輸出したりしていた。

第一次世界大戦が終わるころには日本は世界3位の造船大国となっていたのである





70:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 16:55:23.69 ID:kQ/k0zjU0



68つづき

1915年に日本は中国に対し「対華21カ条要求」を突き付ける

 内容としては「それまでドイツが持っていたところをそのまま日本にくれ」というもの。(他にも日本にいろんな権益が付く)

ぶっちゃけた話合法的な火事場泥棒である。

当時の中国は清から中華民国に変わったばかりで国内がガタガタの状態だった。

中国の人民としては「やっと欧州からの支配を抜けたと思ったら今度は日本か」というもの。

当然反対運動(五・四運動)も起きることとなった。

日露戦争後中国は日本を羨望の眼差しを向け近代国家の手本にしようと留学などを行っていた

が、この対華21カ条要求でそれらは憎悪に変わってしまったのである。





73:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 17:13:28.46 ID:kQ/k0zjU0


>>70つづき

そして1917年にはロシア革命が起こる。

そこで連合国がシベリア出兵を開始する。

理由は

・ドイツはロシアと戦争する理由が無くなり東部の兵力を西部に移動させようとする。それに対する牽制

・チョコ軍虜囚の救出、

読んでいて頭が痛くなるような大義名分である。



が、本心では

・共産主義の南下の阻止

・大陸での権益の拡大

が主な理由である。



特に日本は7万2千人と他国より大幅に多い人数・かつ長い期間出兵を行った。





84:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 17:53:07.42 ID:0soyp1Yk0


>>73
>・チョコ軍虜囚の救出、


ビスケット軍に囚われてたりしたのか





85:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 17:54:45.66 ID:kQ/k0zjU0


>>84
ミスったwww

チェコ軍っすwwwww





76:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 17:21:00.25 ID:kQ/k0zjU0


>>73つづき

そのシベリア出兵の一つエピソードを

ロシア帝国時代、ポーランド政治犯等を流刑しておりシベリアには相当数のポーランド人がいた。

その後のロシア革命の混乱とポーランドの独立によって多数のポーランド孤児がシベリアに取り残されてしまう。

その保護のために力を貸す国は無かった、というか欧州戦線で手いっぱいでできない。

そんな中日本は孤児の救出・祖国へと帰したのである。



詳しくは「ポーランド孤児 救出」でググって下しぁ





80:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 17:38:27.90 ID:kQ/k0zjU0


>>76つづき

そしてポーランドは1939年ドイツとソ連の秘密協定により侵略されてしまいます・・・



第一次世界大戦が終わりパリ講和会議で日本は戦勝国の仲間入りを果たし、かつてのドイツ領や南洋の諸島を手に入れることとなる。

しかし、日本がここまで大きくなってくると難色を示す国が出てきた。



そう、太平洋を挟んだ向かい側の国、アメリカ合衆国である。



当時アメリカはフィリピンやハワイなどの植民地を持っていたが中国の権益の確保に他国に遅れており、そのことに焦りを感じていた。

そんな中、南洋の島々を抑え中国にも権益を拡大しつつあった日本は目の上のコブだった。





82:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 17:51:02.35 ID:kQ/k0zjU0


>>80つづき

日本の極東アジアでの台頭により権益を奪われるのでないだろうかという警戒はイギリスも同様だった。

1921年、四カ国条約が締結される(日本・アメリカ・イギリス・フランスの四カ国)

太平洋における領土と権益の相互尊重と、諸島における非軍事基地化、というのが建前だったが

日本の南下にブレーキをかける狙いがあったのはありありと見てとれる。

そして約20年間日英同盟はここに消滅する。



一説にはアジアでの日本の台頭を快く思わないアメリカが日英同盟を取り消すために仕掛けたともいわれる。

その結果日本と同盟を結んでいる国はいなくなってしまい、常任理事国入りこそしているものの孤立してしまう


そして約20年間日英同盟はここに消滅する。



一説にはアジアでの日本の台頭を快く思わないアメリカが日英同盟を取り消すために仕掛けたともいわれる。

その結果日本と同盟を結んでいる国はいなくなってしまい、常任理事国入りこそしているものの孤立してしまう





89:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 18:14:02.46 ID:kQ/k0zjU0


>>82つづき

かつてイギリスの手のひらの上で踊らされていた日本。

そんな国がいつの間にか意思を持ち、コントロールができなくなるとはイギリスも思っていなかったであろう。



同じくそのころ、戦勝国では戦艦建造が流行であった。

第一次世界大戦での海戦で戦艦の重要さが増したのである。

その結果どの国も多くの強力な戦艦を作ろうと躍起になり建造競争を行っていた。

日本も例外ではなく八八艦隊などの建造計画をぶち上げる。

当時の戦艦は今でいう大陸間弾道核ミサイル並みの影響力があったのだ。

だが当然軍備増強が進めば進むほど世界情勢は不安定になり、国の経済負担も増す。(いい例が冷戦やソ連崩壊)

そんな中1921年、軍縮条約が行われる



ワシントン軍縮条約である



各国とも戦艦の保有できる数を制限し、ブレーキをかける狙いだった。


提案したのはまたもやアメリカである

 ちなみに1925年に日本で普通選挙がおこなわれる。

(このとき買収選挙なんかもあって300人近く摘発されてる)



1930年二回目の軍縮会議が行われる



ロンドン軍縮会議である。



内容としては大したことではないものだった。(空母や巡洋艦などの補助艦艇に関する会議だった。)

しかし、この後些細なことから日本では軍部の台頭が始まっていくのである





107:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 19:12:57.18 ID:kQ/k0zjU0


>>98つづき

当時日本の陸海軍の統帥権(軍の管理権限)は天皇であった。



どうしてそうなったのか、というのは教科書には書いていない。



1878年竹橋事件というものがあった。

内容は天皇の近衛部隊が反乱を起こしたのである。(理由はググってくれ)

反乱はすぐに鎮圧されたが明治政府は大きな衝撃を受けた。

軍はきっかけがあれば叛乱を起こす、という可能性がある

その軍をどうするか、これが時の明治政府の悩みだった。



自由民権運動が始まり、さまざまな人間が入ってくる。

その中で混乱が起こり、国がコントロールできなくなる恐れもあった。

また、もし運動家などが政権を握り、その時政府に統帥権があればとんでもないことになってしまう恐れもあった。



そこで政府と軍を切り離すことができれば、政府と軍の暴走を防ぐことができる。

しかし軍だけを独立させるのは危険である、そこで天皇直属の機関ろすればいい。

そう考えたのだ。

建前上は天皇直属の機関だったが実際こんとろーるしているのは政府だった

 また、もし運動家などが政権を握り、その時政府に統帥権があればとんでもないことになってしまう恐れもあった。



そこで政府と軍を切り離すことができれば、政府と軍の暴走を防ぐことができる。

しかし軍だけを独立させるのは危険である、そこで天皇直属の機関ろすればいい。

そう考えたのだ。

建前上は天皇直属の機関だったが実際こんとろーるしているのは政府だった 





113:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 19:37:58.68 ID:kQ/k0zjU0


>>107つづき

このことを決めたのは時の総理大臣、伊藤博文である。



しかし伊藤博文の思いとは裏腹に昭和時代にこれが仇となる事件が起こる

先のロンドン軍縮会議である。

この会議に参加・調印したのは政府の人間なのである。



当時は野党は隙があれば徹底的に糾弾する姿勢だった。

(似たような話を最近聞いた気がするのは気のせいだろうか?)

そしてこのロンドン軍縮会議も政争の道具に使われることとなる。



軍縮会議後に開かれた議会で、当時の野党(立憲政友会)総裁、犬養毅がこう言った。

「政府が勝手に軍縮条約を締結したのは統帥権の干犯である」



と。





118:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 19:51:11.48 ID:kQ/k0zjU0


>>113つづき

つまり



「日本の陸海軍は天皇直属のものであり、政府が勝手に軍縮を決めるのはおかしい」



ということである。



立憲政友会としては特に深い思いがあったわけではないだろう。

ただ隙を見つけたから政府を攻撃したという野党の習性だろう。



当時軍部は軍縮で予算が削られていた。そこでここぞとばかりにこの問題に飛びついたのである。

結果これ以後政府は軍部に干渉することが難しくなった

 政府が干渉しようとするたびに「統帥権の干犯」だとして軍部は撥ね退けたのである。



この発言は政党政治にとっては自殺行為であった。

本来軍をコントロールしなければならない政治家が「軍を犯すべからず」と言ったも同然だからだ。





123:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 20:04:47.15 ID:kQ/k0zjU0


>>118つづき

日本政府は決して開けてはならないパンドラの箱を開けてしまう。

そして日本政府の手を離れた軍部は壊れるまで止まることのない巨大なスチームローラーとなって暴走を始める。



1931年、日本はとうとう満州に対して食指を伸ばし始める。



そう、満州事変である。



この満州事変のことの発端である柳条湖事件は皆の知っての通り日本軍の自作自演である

そして日本はわずか5カ月で満州全土を掌握する。





128:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 20:22:13.49 ID:kQ/k0zjU0


>>123つづき

この満州事変を時の政府が収拾することはできなかった。



次の年とんでもないことが起こる



五・一五事件である。



首謀者は日本海軍の軍人であった。

反乱を起こした理由はロンドン軍縮会議に締結したことに不満を持っていたからである。



しかしその締結した時の政府、立憲民政党はその後の選挙で大敗、1932年には犬養毅の立憲政友会が政府となっていた。



しかし計画は実行され犬養毅は暗殺されてしまう。



かつて「政府が勝手に軍縮条約を締結したのは統帥権の干犯である」と軍部の暴走の引き金を引いてしまい、

自らその暴走に巻き込まれてしまったのである。

何という皮肉であろうか。



その後首謀者たちは軍法会議で裁かれるがそれほど重い罪ではなかった。


理由は一般市民から助命嘆願運動があったためである。

理由は一般市民から助命嘆願運動があったためである。





129:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 20:29:04.05 ID:kQ/k0zjU0


>>128つづき

当時の政府や財界は相次ぐ天災や世界恐慌に何ら対策を取ることができなかった。

またそれら以外にも格差社会の問題や農村の困窮などの問題も多々あった。

そんな中行われた軍部の上層部に対する叛乱は一般市民にとっては正義の味方に見えたのであろう。



ちょっと風呂に行ってくる

次は二・二六事件か日本がどうして満州に攻め込んだのかとか解説したい。



ちょっと待っててね。





141:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 21:03:16.46 ID:kQ/k0zjU0


>>129
なににせよこの五・一五事件によって日本のシビリアン・コントロールは完全に崩壊した。

しかしまだこの時点では軍部の暴走を止める方法があった。

それはマスコミの存在である。

当時はテレビやインターネットなどあるはずもなく、ラジオもそれほど普及しておらず、新聞の役割は非常に大きかった。

マスコミは1930年当時まだそれほど軍一色ではなかった。

(ただしどこそこの戦いで日本軍が勝利した、とかの好戦的な記事を書くと爆発的に売れたという)

特に朝日新聞は犬養毅の問題発言のときも非難していたし、満州事変による懸念なども書いていた。

しかしこのことにより各地で不買運動が起こり、朝日新聞は最終的に折れてしまい、以後好戦的な記事の割合が大幅に増えることとなる。

もし朝日新聞が折れずにいたら軍部の暴走は止められた・・・かもしれない。



今でこそ「太平洋戦争は軍部が悪かった」と言われるが、自分としては軍部だけではなく、政府・マスコミ・国民それぞれに責任があったと考える。





145:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 21:17:11.68 ID:kQ/k0zjU0


>>141つづき

そして1933年、日本の孤立を決定的になる事態が起こる。



国際連盟の脱退である。



ことの始まりは満州事変、それに続く満州国の建国である。

それらに対して国際連盟は満州事変・満州国の調査のためリットン調査団を送り込んでくる。

この結果を不服とした日本は国際連盟を脱退してしまう。



ちなみに調査結果は特に日本に不利なものではなかった。

北酷暑では日本の満州国における特殊権益を認められていた。

しかし日本は満州国が国際的な承認を得ることを目的としていたため不服としたのである。

 しかし日本は満州国が国際的な承認を得ることを目的としていたため不服としたのである。





150:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 21:33:22.36 ID:kQ/k0zjU0


>>145
そもそもなぜ日本は満州を手に入れようとしたかというと、経済的な背景と当時の国内情勢が主な理由である。

経済的な背景として、まず南満州鉄道(通称満鉄、弾丸特急なデザインのあじあ号が有名)である。

南満州鉄道とは満州の中心部から海までの大動脈ともいえる700キロの路線である。

ちなみにこの路線はもともとロシアが保持していた権利を日露戦争後日本が手に入れたものである。

また、南満州鉄道は「鉄道」と付いているが鉄道以外に炭鉱開発や製鉄業・電力業・農林業・都市開発など様々な事業を行っていた半官半民の特殊会社である。

そしてその収益は1928年には4551万円である。(当時の金額で)

当時の国家予算が15億円であることを考えるととんでもない数字である。





156:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 21:58:40.11 ID:kQ/k0zjU0


>>150つづき

経済的な背景のもう一つとして戦争景気である

大日本帝国になってから日本は負けたことがなく戦争によって国力を増大させてきた国だった。

戦争中毒と言ってもいいだろう。

確かに戦争が起これば景気は上向きになる。

が、不確定要素も多く、ギャンブルのようなものである。

日本国民はこの満州事変もこれまでのように勝利し、国力は増強され、景気が上に向くと考え、リスクに目を向けず軍部の背中を後押ししたのだ。

世論という力を使って。

もし負けたらどうなるか、それはみなさんの知っているとおりである。



そしてもう一つの理由国内情勢である。

当時日本では近代化による人口爆発が起こっていた

幕末には3000万人だった人口が昭和初期になると6000万人を超えていた。

わずか60年ほどで人口が倍になってしまったのである。

当時の政府は日本国内ではまかないきれないと考え、南北アメリカやハワイ・朝鮮半島への移民を行っていたが

昭和初期には受け入れてくれる国はほとんどなくなっていた。

そこで満州に目をつけたのだ。

計画では500万人を移住させる計画もあった。

国は貧困農家向けに開拓移民を募り満州の原野を開墾させるなどしたが満州の冬はマイナス30度を下回り、

伝染病や栄養失調、さらには匪賊(山賊みたいなものただのゴロツキから政治的集団までいろいろいた)も満州では出没していた。

また、満州の開墾された土地は日本人は手をつけない、という建前があったため開拓移民にあてがわれたのは何もなされていない原野だった。

が、適当な理由を付けて開墾された土地を買い上げ日本人にあてがったということもあったそうである。

その結果満州内での日本人に対する評判はあまり良くなかったそうである。





171:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 22:49:58.44 ID:kQ/k0zjU0


>>156
つまり南下して植民地を新たに獲得することができない以上、北へ向かい満州を手に入れるしか日本には道は無かったのである。

しかし満州に固執した結果、以前から大陸の権益を狙っていたアメリカとの関係は悪化の一途を辿っていく。

そんな1936年事件は起こる



二・二六事件である。



当時日本の情勢は最悪であった。五・一五事件の時よりも状況は悪化しており、東北では歴史的な不作となり政府は何一つ有効な対策を取れなかった。

また、歴史的な大恐慌の中三井や三菱・住友といった財閥はそんな中でも為替差益などで莫大な利益を得ていた。

この社会情勢に対する不満に加え、天皇主体の国家を作ろうという考えが芽生えてきていた(昭和維新)

これらの情勢の中クーデターは行われる。

が、肝心の天皇が叛乱軍とみなしたため失敗に終わる。

この際政府は事態を収拾することができず、陸軍に一存するしかなかった。

また、クーデターは陸軍が主体となって行われたため、海軍は鎮圧部隊を派遣するなどしていた。

もしクーデターを陸軍が認め成功していたら陸軍と海軍で内戦になっていた可能性もある。



また、当時日本では徴兵制を行っており、国民の大半は農民だった。

クーデターの主要メンバーの若手将校は農民出の部下たちから農村の窮状を見聞きしていたため、私腹を肥やしていた財閥もターゲットになっていたのである。



開国から70年余りが経過し、世界の一流国家となった大日本帝国。

だがその速すぎる発展に社会が追い付かず様々な歪が起きていた。

その代表的なものは農村部の困窮と言える。



また、政治が腐敗し、国内情勢が悪くなればどうなるかというのがよくわかる事件だと言える。





81:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 17:38:50.06 ID:2JUeH0LX0


韓国併合はロシアの南下政策牽制のため、とだけ覚えてたけどこんなに細かいことが起きていたのか

あお韓国併合は朝鮮側が望んでいたものだぜ、教科書にも載ってるぞ





83:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 17:52:39.76 ID:kQ/k0zjU0


>>81その書くの忘れてたww

あの時代めちゃくちゃ濃くて書いていくの大変なんだすまぬww





101:竹島は日本固有の領土 朝鮮慰安婦は売春婦  !ninja:2012/08/26(日) 18:58:31.27 ID:J8Cua7Df0


こう言うこと南朝鮮じゃ習わないのかね





102:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 18:59:47.59 ID:FIUdhYki0


愛国心を煽るために歴史すら捏造する国に対して何を期待するのだね





97:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 18:50:00.79 ID:HQwa2uXh0


良スレ





71:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/08/26(日) 17:05:20.00 ID:wtV6puNx0


最近日清戦争~ww2辺りの歴史に興味あったけど分かりやすく解説してるとこ見つからなかったからありがてぇわ
 

2010年12月5日日曜日

本日のトレッキング


らくらくセンター~客坊谷~僕らの広場~暗がり峠~慈光寺~らくらくセンター
慈光寺の紅葉も熟れきってきました、黄色に赤そして茶色が混ざっていました。
そして慈光寺かららくらくセンターまで走りました
軽いくだりで息はあがりませんでしたが足がガグガクです
定番になるかもです
途中客坊谷の木がたくさん切られていました
ビックリして
帰りにセンターの人に聞いたのですがあの木ソメイヨシノで
ウイルス性の病気だそうで、切った後は燃やしたほうが良いらしいですが
できないそうです
ウイルスに強い桜をまた植えるそうです
見れるのはだいぶ先ですね

2010年12月1日水曜日

慈光寺 2







枚岡公園~髪きり地蔵~慈光寺~暗がり~枚岡公園
2日続けて慈光寺へ
楓が凄く綺麗でお寺も静かでした
戦利品~白菜~150円
この週は3日山へ